琉球舞踊の歴史

 

「歌と踊りの島―沖縄」「芸能の宝庫」といわれているように古来から沖縄県では、芸能が大変盛んです。長い年月の間に日本のみならず、中国や東南アジア・ミクロネシアなどの諸群島との交流の中で成長し独自の芸術性を打ち出しています。

 

その中でも「琉球舞踊」は、民族舞踊(エイサーなど)を含む、琉球で創作され、継承されてきた舞踊の総称のことですが、一般的には、今から350年前(琉球王朝時代 14世紀〜19世紀)に完成された「古典舞踊」と明治・大正時代に創作された「雑踊」、そして戦後に生まれた「現代創作舞踊」のことを言います。

 

古典舞踊は、琉球王国の認証のため訪れた中国からの冊封使一行を歓待するための芸能として発達したものです。首里王府の休廷で演じられたことから、「宮廷舞踊」あるいは「御冠船踊り」とも呼ばれております。古典舞踊には、「老人踊り」(かぎやで風節)、「若衆踊り」(若衆特牛節など)、「女踊り」(伊野波節など)、「二才踊り」(上り口説など)、「打組踊り」(醜童など)があります。

 

雑踊には、明治12年の廃藩置県後、禄を失った士族たちのうち、御冠船踊りの流れを汲む人たちによって、商業演劇(沖縄芝居)が始められ、その幕間舞踊として生まれた庶民的な踊りです。 雑踊には、「花風」、「むんじゅる」、「加那ヨー天川」などがあり、厳粛で動きを抑制した古典舞踊とは対照的に、一般庶民の生活感覚に根ざした軽快かつ陽気な踊りが多くあります。

 

琉球舞踊の魅力はコネリ手(小手をこねるようにかえす手の動き)摺り足(本土の能・歌舞伎の足さばき)やナヨリ(なよやかに踊る上体の動きを始めとする手や足の優雅で荘重な所作や色鮮やかな紅型の衣装などにありますが、地謡のの琉球音楽にも味わい深いものがあります。

 

集合写真